ベルギーのモンマルトル?アレシンスキーの溜まり場に行ってきた [ベルギーでの暮らしとヨーロッパの旅]
昨夜の「高田純次のセカイぷらぷら」出演にたくさんの反響、ありがとうございました。
これから毎週日曜よる9時、ベルギーをぷらぷらしながらお目にかかります。
さて、ベルギーといえば、この秋、こんなアーティストを追いかけています。
ベルギーの岡本太郎ことピエール・アレシンスキー。
【前回までのあらすじ】
渋谷ブンカムラで日本初の大回顧展が開催中ということで(展覧会特設サイト)、
「コレは本国でもチェックせねば!」と地下鉄のデルタ駅、
そして王立博物館(写真↑)に見に行きました。(その時の記事はこちら)
地元のアレシンスキー愛をたっぷり感じることができましたが、
「彼の作品をもっと見たいなら、このお店にも行ってみたら?」と、
さらなる追加情報をゲットしました。
よし、現場に急行します!
向かったのは、
ベルギーを代表する高級チョコレートショップが並ぶグラン・サブロン広場。
土曜日のアンティークマーケットでも有名ですが、
かつて、たくさんの芸術家たちが暮らすエリアだったとか。
パリのモンマルトル的な感じ?
ここには、タンタンの作者、エルジェさんもアトリエを持ち、
マグリットもデルヴォーもウロウロしていたり、
アレシンスキーが所属した気鋭のアーティスト集団「コブラ」の溜まり場だったとか。
むむ、これは期待できます。
教えてもらったのは、1968年開業のレストラン「 Au Vieux Saint Martin 」
(オ・ビュー・サン・マルタン)
緑と白のシェードが優雅な店構え。
ドキドキしながら中に入ると、
芸術の香り漂う、上品でオトナの雰囲気。
いたるところに飾ってあるのは、
ベルギーを代表する現代アーティスト達の作品たち。
あの丸いの!アレシンスキーさん、ですよね?
敷いてくれたテーブルマットも。
パリッとした白い制服姿のギャルソンさんに、おそるおそる尋ねてみます。
「こちらのお店、アレシンスキーさんにゆかりがあるんですか?
彼の作品を見にブリュッセルに来たんですけど、王立博物館には2作品しかなくて…」
すると、穏やかな笑顔で答えてくれました。
「先代が大のアート好きでして…。
たしかアレシンスキー氏とは良き友人だったと聞いています。
あっ、今のオーナーがちょうど上にいるので、会ってみますか?」
い、今?
いいんですか?
ギャルソンさん、レジ番のマダムと相談しつつ、
何やら内線でやりとりしていましたが、
「ウイ!ここの階段を上がってね!」と、これまた笑顔で指差してくれました。
わわ、いきなりアポなしでオーナーさんインタビューが実現ですか。
冷や汗かきながら、階段を上がっていくと、
イケメン秘書さん(おそらく4代目?)が重厚な扉を開けてくれ、
迎えてくれたのは、どっしりした貫禄の現オーナーさんのアルバート・ニールズさん。
現代アートに囲まれた部屋の真ん中で、
ニコニコしながら席をすすめてくださり、
「So, what can I do for you?(さて、どんなご用件ですか?)」と尋ねてくれます。
面接みたいで焦りながら聞いてみました。
「あの、いま東京で、アレシンスキーの日本初の大回顧展が行われていまして、
氏についていろいろと調べているのです。
こちらのお店とはどんな関係があるんですか?」
ニールズさん、「ほぉ、日本で!」を目を見開き、
よくぞ聞いてくれました!と、嬉しそうに答えてくれました。
「私の父は、アレシンスキー氏と良き友人だったのです。
「コブラ」のアーティスト達を大変かわいがっていました。
宿を提供したり、ゴハンを食べさせたり、いろいろと面倒を見ていましたね。
彼らが作り出す芸術の支持者であり、一番のファンでもあったのです。
バンケットホールにもたくさん飾ってるから、ご案内しましょう!」
と席を立つので、慌てて後を追います(でもちゃんとドアは開けてくれる)
すごい、その辺にゴロゴロ置かれています。
壁にも、床にも。
廊下にも。
ニールズさん:
「父は早くからアレシンスキーの才能を見抜いていました。
彼から新作を手に入れると、それまで店内に飾っていた他のアーティストの絵を外して、
一番良いところにアレシンスキーの作品を飾ったものです。
地元の常連さんから、「一体なんなんだこの絵は?」とクレームが来ようと、
「いやいや素晴らしい作品だから!」と、決して譲らなかったんです。
だって、芸術作品というものは、人々にその真価がわかってもらえるまで、
30年、40年、それ以上と、長い時間がかかるものですからね…(と、ウインク)」
素敵なお話だなぁ。
こういうサポーターを持つことができた芸術家は本当に幸せですね。
ニールズさん:
「メニューも、ほら、見てください。」
「このお店のは、ドートルモンが表紙だけど、
もう一軒のAu Grand Forestierのメニューはアレシンスキーの作品なんですよ。
アレシンスキー氏が、日本の書道に影響を受けたのはご存知ですよね。
そうそう、日本といえば、思い出すなぁ…
(ここから回想モードで以下続く)
このレストランは、1970年の大阪万博のベルギー館でも全面協力したんですよ。
ベルギーの国民食であるフライドポテト用のじゃがいもがなかなか確保できなくて。
マクドナルドが日本に上陸する前の話ですよ。
そうそう、当時の皇太子殿下も食べに来てくださったなぁ…(遠い目)。
どうぞ今日はゆっくりしていってくださいね。」
出てくるエピソードすべてに歴史を感じる、貴重な出会いでした。
別れ際、握手をしながらニールズさん
「店内に東京での展覧会のポスターを貼りたいから、何枚か送ってくださいね!」
と、茶目っ気たっぷりにリクエストいただきました。
もちろんです。
またお持ちしますね!
ちなみに。
こちらのお店の芸術的な名物料理は、「フィレ・アメリカン」。
ミンチ肉にスパイスを混ぜ込んで作ったタルタルステーキ。
ベルギーを代表する名物料理ですが、初代オーナーシェフが考案したとか。
地元の上品そうなマダム&紳士や、
いかにも洗練された感じのビジネスマンが
エレガントに(&嬉しそうに)ボリュームたっぷりのお肉と格闘していました。
アレシンスキーさんや、その仲間も、食べさせてもらっていたのかな?
このお店が守り続けたレシピと、伝統と、芸術。
ベルギーらしいあたたかさ、面倒見の良さ、優しさ。
たくさんの想いで胸がいっぱいになりました。
ありがとうございました。
はー、緊張した。
帰り道。
またとない嬉しい出会いのお礼参りとして、
このエリアのシンボル的存在、
ノートルダム・デュ・サブロン教会にも立ち寄りました。
中心部の喧騒からすこしれた教会の中では、静寂そのもの。
見上げれば、圧巻のパイプオルガン。
そして、ステンドグラスから差し込む色彩に息を呑みました。
同じ色を目にして、アレシンスキーやその仲間たちは、何を感じたのでしょうか。
*****************
ナレーション担当中。
NHK BS1「挑戦者たち」
11月22日(火)午前2時00分~ 午前2時10分
11月27日(日)午前3時10分~ 午前3時20分 (再放送)
「金丸悠~レーシングドライバー/スペイン」
レーシング・ドライバーの金丸悠選手は4歳でカートレースを始め、
将来は「F1ドライバー」になると決めていた。
13歳で単身ヨーロッパに渡り、さまざまなカートレースに出場。
17歳でカートレースの世界最高クラスで日本人初の優勝を飾り、
翌年、フォーミュラー・デビュー。もはやF1まであと一歩…。
走り続ける金丸選手の挑戦に迫ります。
これから毎週日曜よる9時、ベルギーをぷらぷらしながらお目にかかります。
さて、ベルギーといえば、この秋、こんなアーティストを追いかけています。
ベルギーの岡本太郎ことピエール・アレシンスキー。
【前回までのあらすじ】
渋谷ブンカムラで日本初の大回顧展が開催中ということで(展覧会特設サイト)、
「コレは本国でもチェックせねば!」と地下鉄のデルタ駅、
そして王立博物館(写真↑)に見に行きました。(その時の記事はこちら)
地元のアレシンスキー愛をたっぷり感じることができましたが、
「彼の作品をもっと見たいなら、このお店にも行ってみたら?」と、
さらなる追加情報をゲットしました。
よし、現場に急行します!
向かったのは、
ベルギーを代表する高級チョコレートショップが並ぶグラン・サブロン広場。
土曜日のアンティークマーケットでも有名ですが、
かつて、たくさんの芸術家たちが暮らすエリアだったとか。
パリのモンマルトル的な感じ?
ここには、タンタンの作者、エルジェさんもアトリエを持ち、
マグリットもデルヴォーもウロウロしていたり、
アレシンスキーが所属した気鋭のアーティスト集団「コブラ」の溜まり場だったとか。
むむ、これは期待できます。
教えてもらったのは、1968年開業のレストラン「 Au Vieux Saint Martin 」
(オ・ビュー・サン・マルタン)
緑と白のシェードが優雅な店構え。
ドキドキしながら中に入ると、
芸術の香り漂う、上品でオトナの雰囲気。
いたるところに飾ってあるのは、
ベルギーを代表する現代アーティスト達の作品たち。
あの丸いの!アレシンスキーさん、ですよね?
敷いてくれたテーブルマットも。
パリッとした白い制服姿のギャルソンさんに、おそるおそる尋ねてみます。
「こちらのお店、アレシンスキーさんにゆかりがあるんですか?
彼の作品を見にブリュッセルに来たんですけど、王立博物館には2作品しかなくて…」
すると、穏やかな笑顔で答えてくれました。
「先代が大のアート好きでして…。
たしかアレシンスキー氏とは良き友人だったと聞いています。
あっ、今のオーナーがちょうど上にいるので、会ってみますか?」
い、今?
いいんですか?
ギャルソンさん、レジ番のマダムと相談しつつ、
何やら内線でやりとりしていましたが、
「ウイ!ここの階段を上がってね!」と、これまた笑顔で指差してくれました。
わわ、いきなりアポなしでオーナーさんインタビューが実現ですか。
冷や汗かきながら、階段を上がっていくと、
イケメン秘書さん(おそらく4代目?)が重厚な扉を開けてくれ、
迎えてくれたのは、どっしりした貫禄の現オーナーさんのアルバート・ニールズさん。
現代アートに囲まれた部屋の真ん中で、
ニコニコしながら席をすすめてくださり、
「So, what can I do for you?(さて、どんなご用件ですか?)」と尋ねてくれます。
面接みたいで焦りながら聞いてみました。
「あの、いま東京で、アレシンスキーの日本初の大回顧展が行われていまして、
氏についていろいろと調べているのです。
こちらのお店とはどんな関係があるんですか?」
ニールズさん、「ほぉ、日本で!」を目を見開き、
よくぞ聞いてくれました!と、嬉しそうに答えてくれました。
「私の父は、アレシンスキー氏と良き友人だったのです。
「コブラ」のアーティスト達を大変かわいがっていました。
宿を提供したり、ゴハンを食べさせたり、いろいろと面倒を見ていましたね。
彼らが作り出す芸術の支持者であり、一番のファンでもあったのです。
バンケットホールにもたくさん飾ってるから、ご案内しましょう!」
と席を立つので、慌てて後を追います(でもちゃんとドアは開けてくれる)
すごい、その辺にゴロゴロ置かれています。
壁にも、床にも。
廊下にも。
ニールズさん:
「父は早くからアレシンスキーの才能を見抜いていました。
彼から新作を手に入れると、それまで店内に飾っていた他のアーティストの絵を外して、
一番良いところにアレシンスキーの作品を飾ったものです。
地元の常連さんから、「一体なんなんだこの絵は?」とクレームが来ようと、
「いやいや素晴らしい作品だから!」と、決して譲らなかったんです。
だって、芸術作品というものは、人々にその真価がわかってもらえるまで、
30年、40年、それ以上と、長い時間がかかるものですからね…(と、ウインク)」
素敵なお話だなぁ。
こういうサポーターを持つことができた芸術家は本当に幸せですね。
ニールズさん:
「メニューも、ほら、見てください。」
「このお店のは、ドートルモンが表紙だけど、
もう一軒のAu Grand Forestierのメニューはアレシンスキーの作品なんですよ。
アレシンスキー氏が、日本の書道に影響を受けたのはご存知ですよね。
そうそう、日本といえば、思い出すなぁ…
(ここから回想モードで以下続く)
このレストランは、1970年の大阪万博のベルギー館でも全面協力したんですよ。
ベルギーの国民食であるフライドポテト用のじゃがいもがなかなか確保できなくて。
マクドナルドが日本に上陸する前の話ですよ。
そうそう、当時の皇太子殿下も食べに来てくださったなぁ…(遠い目)。
どうぞ今日はゆっくりしていってくださいね。」
出てくるエピソードすべてに歴史を感じる、貴重な出会いでした。
別れ際、握手をしながらニールズさん
「店内に東京での展覧会のポスターを貼りたいから、何枚か送ってくださいね!」
と、茶目っ気たっぷりにリクエストいただきました。
もちろんです。
またお持ちしますね!
ちなみに。
こちらのお店の芸術的な名物料理は、「フィレ・アメリカン」。
ミンチ肉にスパイスを混ぜ込んで作ったタルタルステーキ。
ベルギーを代表する名物料理ですが、初代オーナーシェフが考案したとか。
地元の上品そうなマダム&紳士や、
いかにも洗練された感じのビジネスマンが
エレガントに(&嬉しそうに)ボリュームたっぷりのお肉と格闘していました。
アレシンスキーさんや、その仲間も、食べさせてもらっていたのかな?
このお店が守り続けたレシピと、伝統と、芸術。
ベルギーらしいあたたかさ、面倒見の良さ、優しさ。
たくさんの想いで胸がいっぱいになりました。
ありがとうございました。
はー、緊張した。
帰り道。
またとない嬉しい出会いのお礼参りとして、
このエリアのシンボル的存在、
ノートルダム・デュ・サブロン教会にも立ち寄りました。
中心部の喧騒からすこしれた教会の中では、静寂そのもの。
見上げれば、圧巻のパイプオルガン。
そして、ステンドグラスから差し込む色彩に息を呑みました。
同じ色を目にして、アレシンスキーやその仲間たちは、何を感じたのでしょうか。
*****************
ナレーション担当中。
NHK BS1「挑戦者たち」
11月22日(火)午前2時00分~ 午前2時10分
11月27日(日)午前3時10分~ 午前3時20分 (再放送)
「金丸悠~レーシングドライバー/スペイン」
レーシング・ドライバーの金丸悠選手は4歳でカートレースを始め、
将来は「F1ドライバー」になると決めていた。
13歳で単身ヨーロッパに渡り、さまざまなカートレースに出場。
17歳でカートレースの世界最高クラスで日本人初の優勝を飾り、
翌年、フォーミュラー・デビュー。もはやF1まであと一歩…。
走り続ける金丸選手の挑戦に迫ります。